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『丹波国の女神』

丹波市青垣、そして篠山市畑宮に住むことになったご縁からか、
2016年の夏、丹波国の祖神の神社とご縁をもつことになりました。
丹波の国の神様は、豊受大神という女神です。
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その昔
伊去奈子嶽(いさなこたけ)に
天降(あもふ)られた
豊受大神(とようけのおおかみ)より
五穀桑蚕の種が授けられ

真名井(まない)を掘り
田畑を作り
稲が育てられた

見事に実った稲穂を見て
豊受大神はいたく喜ばれ

「あなにえし
面植(おもうえ)みし
田庭(たには)」
と申された

それがゆえに
わが故郷は
丹波(たには)
と名付けられた
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「丹波」の名前の由来は諸説あります。

丹波の地で多く栽培されていた
「赤米」の稲穂が風で揺れ、
赤い波のように見えたことから
「丹(あか)い波の地」とされて
丹波という地名になった、という説。

あるいは

豊穣なる大地ゆえの
田の庭=たにわ=丹波、という説。

丹色(にいろ)の稲穂の波が、風に心地よく揺れる豊穣の大地・・

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周囲を海に囲まれた丹波は
山海の幸と良湾に恵まれ
古代丹波の一族は
豊受大神を信仰する
海人族(あまぞく)の
一大大国だったのです。
大海原を渡り
外国(とつくに)との交易から
渡来の文化や技術
宝物
鏡や剣
それらを作る技術ももたらされ
たまや装身具も作られていました
もちろん航海術にも
神々や自然を味方にする
術(わざ)にも長けて
海と川に恵まれた各々の地域に栄える
首長(おびと)同士の仲も良く
豊受大神のもと
大海原相手の海人族の気質は
自ら統制がとれて、
おおらかでした
大和朝廷が国を統一するにも
丹波の海人族の姫たちとの
婚姻は大事でした
渡来の技術に通じ
外国(とつくに)との交易から
海人族の蓄えた富や財宝
交易法や航海術それに長けた水軍
海人族の絶大な後ろ盾が
約束されたからです
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古代の丹波国は丹後や但馬を含む大国で、現在の丹後が中心地だったそうです。その広大な丹波の西に位置するひとつの郡、「氷上郡」が 2004年に「丹波市」となりました。

それからわずか12年の間に、IターンやUターンの移住者が増え、さまざまな分野の有能な人材が集まり、「丹波市」の活性化のための活動は、その勢いを増しているように見えます。

丹波市に移住してきた人たちは 「丹波」といえば自分たちの住む「丹波市」だと 当然の事として受け止めているでしょう。また「丹波」がもつ言葉の意味や歴史、何よりも「丹波の神様」について知っている人は、あまり多くないのでは・・。

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丹(たん)は
丹(に)でもあり
力でもありました
「丹波」とは
勢力の波
生命力の波
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「丹波」という言葉が発するエネルギーは、とても強く、その言葉が持つ波動は、「丹波市」に多くの魂を引き寄せています。
新しい移住者のパワーにより、近年のITを生かした環境整備をはじめ、 移住促進のための活動や農業の活性化、陶芸をはじめ文化の発展への取り組みなど、丹波市のさまざまな活動は一見、華やかです。

しかし「丹波国」の祖神を敬い丹波人の精神=スピリットを受け継いでいこうという活動は 注目されていないような気がします。そこには「丹波の分断」という歴史的背景も 関連しているのかもしれませんが・・

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大和の王族と対等の立場にあった丹波氏も
応神天皇の御世に臣下へと下され
雄略天皇の御世には
豊受大神は
御饌都神(みけつかみ)として
伊勢の外宮に遷宮されました・・

丹波氏にとって
それは名誉に見えましょうが
三種の神宝を献上して服するも同じ

祭祀に関わる勾玉を献上して
一族の祖神神霊の祭祀権を
譲り渡したようなものです

豊受大神は
すべての存在を生かし育む
普遍的豊かさ
慈愛のエネルギーゆえ
伊勢の国の
天照大神のお傍へのご遷宮は
大事でしたでしょう

でも豊受大神を祖神として信仰し
かつて神人一体となって
調和的な大国を築き上げていた
丹波大国は
その後 二つに分断され

豊受大神の本拠地から
「丹波」の名は取り上げられ
「丹後(たんご)」
すなわち
「丹(たん)ハ後(しりぞく)」と
名付けられたのです

ああ!

名を失って
初めて知る・・

「丹波」とは 生命力・・・
霊力(エネルギー)の波

すなわち
豊受大神の性質
そのものの名を
賜わっていたことを!

五穀や桑蚕(くわご)の種を
もたらした大神は
御饌都神・・・
稲や食物の
神ではあるけれど

種を司ることは
そこに内包する
過去・現在・未来に
行き渡っての
不滅の豊穣を司る
ということなのです。

豊受・・もとい・・
豊宇氣(とようけ)が
天地に普く満ち渡り
すべての存在に等しく降りそそぐ
霊力であるならば
それは決して失われることなどないと
わかっていても・・

分断された丹波の国の喪失感は
何代も後に生まれた
私の中にも感じられる
丹波の国と大地と
民の精(スピリット)は
傷ついていたのです
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周囲の反対を押し切って、氷上郡が「丹波市」を名乗ることになった是非を、私は問うつもりはありません。ただ、「丹波市」の成立により広大な丹波国の中のたったひとつの郡だけが「丹波」を冠することになったことで、またしても篠山(※)や亀岡をはじめ周辺の地域が「丹波」からの「分離」の痛みを感じることになったのではないでしょうか・・

今後、旧丹波国同士の緩やかな連携のもとに、経済優先的な活性化だけではなく、「丹波人」としての精神性を育み、共有し、継承するような取り組みを行い、そして伊勢神宮の外宮でもある国家級の女神、「豊受大神」への敬愛の心が旧丹波国に住む人の心に再び灯され、女神のエネルギーが再び起動されたなら、どれほどの豊かさが生まれるでしょうか・・・

豊受大神を祖神として信仰し、かつて神人一体となって調和的な大国を築き上げていた丹波大国

お世話になった「丹波国」の未来が幸多きことを願っています。

最後に・・
丹波の女神とのご縁をつないでくれた菊理媛と、旅の導き手となってくれた龍の精霊に感謝します。

2016年8月

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※追記:篠山市は2019年5月に「丹波篠山市」になりました・・

**** ← この引用部分は
「陰陽師 玉手ばこ 6巻」
岡野玲子 白泉社 より抜粋